尾高惇忠宅で働いていた搾油工と住み込みの家事使用人との間に生まれ、7歳までを尾高家で過ごす。のち彦根藩士の娘を尾高家の見立て養女として妻とした。尾高が関わった農業用水の取水口変更騒動では、尾高とともに事態解決へ奔走している。富岡製糸場建設にあたって、建設責任者となった尾高から建築資材調達のまとめ役を任される。単身、富岡に移住し、れんがづくりなどの任務にあたる。操業が始まると賄方(食堂)を担当。