信州松代藩の士族・横田数馬の娘で、富岡製糸場で技術を学んだ伝習工女として活躍。1873(明治6)年に富岡製糸場に入場し熱心に器械製糸の技術を学び、地元の西条村製糸場(後の六工社)で技術指導者として活躍した。英が富岡製糸場の工女として勤めた期間は1年半ほどに過ぎないが、結婚して和田姓に改称後、富岡製糸場での仕事や生活を回想した『富岡日記』(1907年刊)を出版、当時の工女の生活ぶりや喜怒哀楽を生き生きと描写した貴重な記録として、今も読み継がれている。