1822(文政10)年、武州渡瀬村(現、埼玉県神川町渡瀬)に生まれ、1862(文久2)年に横浜で生糸売込商「亀屋(原商店)」を開き、横浜でも一、二位を争う商人に成長して、横浜の経済界のリーダー的な存在となった。また、故郷の渡瀬村と群馬県下仁田町に製糸工場を建設し、のちの原合名会社の基礎をつくった。原合名会社を開いた原富太郎(三溪)は、善三郎の孫娘の婿で、善三郎亡き後、事業を引き継ぎ発展させた。