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競進社模範蚕室

2019.05.27 | 競進社模範蚕室

競進社は、新しい飼育法「一派温暖育」を考案した木村九蔵が明治10年(1877)に児玉郡新宿村で周辺の若者たちと結成した養蚕改良競進組をそのはじまりとし、九蔵の自宅では手狭となったため、児玉町に土地を求め、事務所と伝習所を設置しました。
競進社は養蚕の改良、養蚕飼育の指導、指導者の派遣、共進会の開催など積極的に活動し、その評判は非常に高く、当時日本の輸出品の大半を占めた生糸の生産に多大な貢献を果たしました。
明治27年には九蔵自ら設計した蚕室を競進社伝習所内に建設し、この蚕室は後に「模範蚕室」と呼ばれるようになりました。九蔵はこれからの養蚕を発展させるには、学問的教育も重要と考え、明治30年に伝習所を競進社蚕業講究所と改め、学制の改正により、競進社蚕業学校と改めました。その後、幾多の変遷を経て県立児玉白楊高等学校となり現在に至っています。